PATRIOT ACTは終わらない。

私が靖国神社の桜を始めてみたのは3才10ヶ月の時だった。母親が背負って私は飴をなめていた。そして数十年の月日が立ち、アメリカの同時多発テロがあった。あの日、私はロスにいて桜を見ていた。しかし桜といってもただの桜ではないヤクザの背中に描かれた桜吹雪の刺青だった。あの刺青を見た日意識を失った。外ではビルに飛行機がツッコミ、私の顔にはヤクザのパンチが食い込んだ。そしてブッシュがテロリズムの定義を拡大したあの例の法案ができたというわけだ。しかしさらに年月は立ってしまった。今はオバマの時代でトランプの時代だ。3才10ヶ月の頃に見た桜は今も目に焼き付いている。そして自称愛国者により私の人生が変えられてしまったのもよくよく覚えている。私が法律の専門家になったすべてのきっかけが今思い出される。

今、話題のテーマとして成年後見というのがある。意味はここで細かく語らないが、愛国を語る上で欠かせないテーマと言えるだろう。なぜなら、年寄りを愛さない国は愛がないからだ。どこの国か果たして分かるだろうか?実はわたしはわかっていなかった。島国である日本に閉じこもっていたからだ。学生の頃、人生に悩んだことがあった。すべてが虚しく見え、現実と虚構の境がわからなくなった。あの日は風がふいていた。なまぬるい風だった。木陰で休んでいるとある男が近づいてきた。髪型は金髪、手にはペットの犬の紐を握っていた。そしてその背景として桜があった。いつも大事なとき、私の目には桜があった。忘れもしない中学生活最後の日、友人と殴りあったところが桜の木の下だった。私は泣いて帰った。まるで3才10ヶ月のころとなんら私は変わらなかった。あれ以来友人とはあっていない。いつか会えるだろうとは思うのだが。

このブログでは少し相続の話をしたいと思う。しかしなぜかくも桜、桜、桜なのか。